当日、会場がほぼ満席となる、283名の方に参加していただきました(うち、調査員135名)。

 冒頭、司会の早石周平さん(鎌倉女子大学、1999-2008年参加)が、シンポジウムの趣旨や、屋久島の自然、調査隊の歴史について簡単に紹介しました。


 まず、山極寿一さん(京都大学、1990、1993年参加)が、「学生が作った屋久島のサル学」と題して講演しました。
 ざんねんながら、当日来場していただくことができず、ビデオによる講演でしたが、若い学生たちの自主的な調査として、1970年代に始まった、屋久島・西部海岸のニホンザルの長期研究について紹介し、現在のヤクザル調査隊へ向けて、「地元の人たちと協力していきながら、これからも調査を続けていってほしい」、とエールを送られました。


 2番目の講演者は、ヤクザル調査隊隊長の好廣眞一さん(龍谷大学、1989-2010年参加)です。「ヤクザル調査隊の始まりと、海岸域・山岳域の分布調査」と題して講演しました。
 ニホンザルによる農作物被害の問題に、研究者として何か貢献できることがないかと考えて、ヤクザル調査隊が結成された経緯、そして屋久島の自然の最大の特徴である、自然植生の垂直分布をサルがどのように利用しているか、という問題意識のもとに、全島の分布調査に取り組んだ、最初の10年間のヤクザル調査隊の歩みを紹介しました。


 次に、ヤクザル調査隊事務局長の半谷吾郎(京都大学、1993-2018年参加)が「ヤクスギの森に住むニホンザルの暮らし」 について講演しました。
 20年前、あらたに西部のヤクスギ林で長期継続調査を開始し、それによってわかってきた、伐採によるサルの数の違いや、西部海岸とは大きく異なる社会変動のあり方について話しました。サルだけでなく、植物、シカ、ヒルなどにも広がっている、現在の調査の内容も紹介しました。


 休憩後、若手代表として、本田剛章さん(京都大学、2013-2018年参加)が講演しました。演題は「屋久島山頂部のササ原に生息するニホンザル」 です。
 本田さんは、最近、屋久島の山頂部を一面覆っているヤクシマヤダケと、それを食べて暮らすニホンザルの興味深い生態を明らかにする、困難なフィールドワークをやり遂げました。調査隊隊長の好廣さんが1970年代から抱いていた宿願である、山頂のサルの暮らしの謎を、彼が解き明かしつつあります。


 最後に、松原始さん(東京大学、1992-2000年参加)が、「実録! ヤクザル調査隊24時」 と題して講演しました。
 ニホンザルの生態についての最初の4題の講演とは趣を変えて、集合から解散まで、どのように調査が行われているのかを、調査員視点で紹介しました。これまで調査隊が経験してきた様々なトラブルを列挙したあとに、「シンポジウムに至っても、こういう呪いはかかっているんでしょう、シンポジウム5日前に山極さんが来られなくなる、大急ぎで京都までカメラを持って行って撮影して一晩で編集。それで何とかなっただろうと思ったら、今朝来てみたら司会をする予定だった大谷くんが声が出ない、でその場で変更」と、屋久島での大小さまざまなトラブルをそうしてきたように、今回のシンポジウムを襲った危機も笑い飛ばしました。


 講演終了後、1970年代に屋久島の西部林道で最初にニホンザルの調査を行った丸橋珠樹さん(武蔵大学、1990、1991年参加)と、4人の講演者が登壇して、パネルディスカッションを行いました。
 丸橋さんが、口火を切りました。「今日、話を聞いて、つくづく思ったことは、1501人、みんな、ちゃんと生還したことですよね。これ、もし、一人でも死んでいたら、そこで途切れるわけですよ。こういう、マネージメント力、参加した人の協働、そして安全こそが第一、というのが、実は、この調査を続けていくときの、力だったと思うんです」
 会場からは、さまざまな質問がありました。「サルは怖くないですか」「大川林道終点で20年調査していて、初めのころとサルの様子で変化は見られますか」「海岸と山の上で、社会のあり方が違うことに対応して、サルの性質も変わるでしょうか」「これまで調査に参加してきて、いちばん強烈だった人は誰ですか」といった、ニホンザルの生態・調査隊に参加した人の両方について、たくさんの質問がありました。
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