「ヤクスギの森に住むニホンザルの暮らし」
半谷吾郎(京都大学霊長類研究所准教授、1993-2018年参加)

司会「屋久島にいくとサルがゴロゴロいる。ヤクザル調査隊には吾郎がいる。半谷吾郎さんに次お願いします。」

はい、半谷です。時間が押していて大丈夫かっていう事務局の方の気持ちと、好廣さんがとても素晴らしい講演をされていて聞きたいという気持ちと、なんというか私が学生だった頃、初めて行ったのが93年ですけど、その時から今に至るまでの、いろいろなことを思い出しながら聞きました。好廣さんがお話しされたのは、1997年垂直分布調査が完成するまでの話です。

  



屋久島全体の分布がわかったその次にわれわれが挑戦したのは、大川林道終点地域、垂直分布の図で言うとここですね、標高1000mぐらいのところで新たな長期調査地を作ろうというということを考えたわけです。山極さんが西部林道の話をされたましたけれども、70年代からずっと調査が始まっていて、それと同じような場所を標高の高いところに作ろうということを目標に定めたわけです。西部林道は74年から調査が始まって、いくつもの群れが調査されていました。山極さんたちが最初調査されていたのが工事場群というこの群れですけれども、それがどうなったかと言うと、最後に残っていたH群というのを、修士課程の時にわたしが調査して、そのあと全部突然死んで、全員いなくなり、消滅してしまいました。

  



そういう、西部林道と同じようなことをやろうと思って1998年に長期継続調査を瀬切川上流域、新しいところで初めたわけです。1998年に第一回のその長期、ここの場所での継続調査を始めました。今までは、屋久島の違うところでどういうふうにサルがいるかという話だったわけですけれど、今度は同じ所でどういうふうに数が移り変わっていくかという調査をしようと思ったわけです。1998年と1999年に、第一回と第二回とやりました。これがあまり上手くいかなくて、非常に残念ながらこの調査隊30年間の歴史の中で、この2年間の結果だけは永遠に論文にならないと思います。申しわけありません。この2年間だけ参加した人もいるんですけど。

 



2000年から今現在の方法による調査方法が始まりました。ここで一番大きかったのは、ヤクザル調査は、定点調査法、要するに調査の経験のない人をたくさん集めて1日森の中にいてもらってサルのことを調べるという、その素朴な調査からきちんとサルの数が出せるというようになったことが大きかったと思います。定点調査は500m四方に1つ定点を設置して1日調査を行うという単純なことです。この写真は2016年の調査員の砥綿さんで、これが大橋さんだと思いますけれども、こんな感じです。

 



やってることは単純で、1日いてサルがいるいないを記録するだけですね。そういう発見頻度から、集団数を出すことができます。この数式は見かけほど難しくありませんが、これで私が時間オーバーしたら大不評ですので省略します。出せます、出せるということがわかりました。非常に簡単な数式の話だけしますけど、ちょっとだけお付き合い願いたいのですが、発見数を発見率で割ると密度になります、いいですね、発見数を発見率で割ると密度になる。だからそこにサルがいて、それを定点の人がどのくらい見つけられるかということさえ分かれば密度出せるわけです。われわれは、サルを追いかける方の調査もやっています。これはサルの群れを追いかけていて、だから定点調査の人が群れを発見できていてもできていなくても、とにかくそこにサルがいるということが分かっている場合があるわけです。つまり、そこに群れがいた時にどのくらいの割合で定点が発見できるかという発見率を、われわれはデータとして持っています。距離が離れれば離れるほど発見率は悪くなりますので、当然こういうふうな形になります。これは数式に当てはめると、値が出ます。こういうふうにして、1日定点に人がいて、サルがいるいないだけを記録するというデータからそれぞれの場所でどれだけの数のサルがいますか、ということが推定が可能になりました。

 
   



これは、今現在の調査に使っている調査用紙ですけど、星印が30個あります。これが定点です。それぞれの定点での定点調査を2000年から始まって19回目を昨年夏に行いました。だからそれぞれの場所でサルが、それぞれの場所の30の定点ごとにサルがどのくらい、一平方キロメートルあたり何集団いますと、というのが算出できるわけですね。当然、多いところと少ないところがあります。




この場所は、大川林道というのがあって、ここが終点でそこでわれわれ泊まっているんですけど、当然林道は木を伐るために作っているわけで、この林道のまわりは伐採をされています。伐採の仕方は二種類あって、木を伐った後そのままの状態にしておくというやり方、これを天然更新と言います。それから、木を伐った後に人工更新といって、スギを植えるという、2つのやり方があります。林道の入り口に近い方はスギを植える方法、林道の終点に近い方が伐った後そのままという方法です。

  



サルの数を、原生林でずっと伐ってないところと、伐採した後に植林せずにそのままにしたところと、スギを植えたところで比較してみると、木を伐った後そのままの、要するに藪だらけのところがサルが一番多いということがわかりました。で、原生林、見た目で非常に美しいところが、サルの数でいうと真ん中で、スギを植えたところは少なくなるということがわかりました。これは、2000年から始まって、最初の4年間の結果です。




サルがここに多くてここに少ないというだけでは、なぜそうなっているのか分からないので、それぞれの場所の環境についても調査をしたわけです。伐採地に行って実を数えるという調査をやりました。サルの食べ物はもちろん果実だけじゃないですけど、他の葉っぱとかは基本的に食い尽せないほどありますので、実が一番だいじな資源だと思います。この彼女に、昨年の調査でちょっと手伝ってもらいました。データシートを見ると、この木は2個、これは30個、この木は二分の一を数えて532個、この木はなかった、二分の一で1504個、20497個とかいうような感じです。これは、ヤクザル調査の最中に定点調査の人が交代で、こういう植物の調査もやってもらいます。

  



そうすると先ほどのサルの数とほとんど同じですけど、伐ってそのままのところが実がいっぱいなっていることが分かります。原生林よりも多い。スギを植林したとことは少ないと。この地域ではですね、大きな木、要するに屋久杉の美しい巨木っていうのはサルの食べ物にはならないんですね。だからそういった木が伐採されて、日がいっぱい当たって、こういう所にワサワサワサワサ生えてる木の方が、実をいっぱいつけます。だからサルの食べ物が多いということがわかります。

最初調査を始めた頃は、伐採跡地はこんな感じでした。ここは屋久島では一番最後まで原生林が伐採されていた所で、こんなような荒涼とした光景でした。しかしこういうところでサルの食べ物が多い。当然、これは年を経るにつれてどんどん移り変わっていきます。今現在はこんな感じです。全く違う。屋久島は、ほっといてもスギが生えてくるという非常に珍しいところで、だからそれによってサルの食物、サルにとっての環境が、時々刻々、時々刻々は大袈裟ですね、年々歳々と移り変わっていくわけですね。じゃあどうなっていくかということを今に至るまで続けてやっております。ちょっとこの辺はグラフだけをお示しして省略しますけど、1日森の中にいてサルのいるいないということを、今でも調べ続けています。

  



他にも、非常にたくさんの人が屋久島に集まってきてもらっているので、先ほど植物の調査の話をしましたけど、いろんな種類の他の動物の調査もしています。ひとつがアカヒゲっていう、屋久島では一度絶滅したと思われている珍しい鳥を、調査員が何度も見つけるということがあって、それをまとめて論文にしたりしました。




それからサルと同じように屋久島を代表する動物であるシカですね、これの調査もいたしました。これは2008年から開始しています。これは定点調査ではなくて、森の中に杭を打って、その周りのシカのフンを数えるといことをやっています。その大きさを測ると、コドモのフンは小さくてオトナのフンは大きいので、フンの大きさを測ると今年はコドモがどのくらいいるかということもわかるわけです。このような感じで、どうもサルよりもシカの数は相当激しく移り変わっているということが分かってきました。

 


ヒルの調査もやっております。ヒルご存知ですかね。気持ち悪い生き物です。この中にヒルの研究者が一人だけいるので、気持ち悪いのかお聞きしたいのですが、気持ち悪いでしょうね、多分、彼女も。私も別に好きではありません。なんでヒルの調査をやったかというと、われわれが調べているサルやシカを食べる生き物であるということで調べたわけです。毎年調査の後に、8月に調査をして9月に報告書を作成しているわけですけど、パソコン作業しているうちの何人かが来てヒルを解剖してもらっています。ちなみに彼女は獣医学を学んでいて、とても上手でした。解剖して消化管を取り出します。これが消化管で、残っている黒いのが血液です。ほとんど血液は残っていないんですけど、これを遺伝子解析します。哺乳類の種を同定できるようなDNAの場所を増幅して、遺伝子配列を解読します。サンプルの配列と、データベースに載っているそれぞれの哺乳類の配列を照合して、これだ!となるわけです。わたし、さすがに今週は全部このシンポジウムの仕事をしておりましたけれども、先週、このヒルについての論文を書いておりまして、多分明日月曜は疲れて死んでると思いますが、火曜日あたりから原稿書くのを再開したいと思います。結果はと言いますと、ヒルが血を吸っている動物は実はほとんどシカだったということが分かりました。ときには、ヤクシマタゴガエルというカエルが出てきたりしました。採取したヒルを持ち帰って、霊長類研究所で飼育もしております。なぜ飼うのかというと、ヒルから哺乳類の情報を取り出すのに、ヒルがどういう生き物か分からないと分からないので、飼育して色々調べたりしています。吸血しなくても1年以上生きることがあるということが分かったりいたしました。

  
  



サルの話に戻りたいと思います。先ほど定点調査の話をいたしました。それと同時にサルを追いかけるという、普通のサルの研究者が多くやっている調査もしております。私、大学院生のときに1年間、HR群という名前をつけた群れを観察しておりました。彼らの行動を観察して、何を食べているかとか、やっぱり葉っぱがかなり多いなと、それが季節によって移り変わるなということ、屋久島の海岸と屋久島の上の方ではずいぶん違うなということが分かってきました。屋久島の低地は、日本の本土に比べて非常に豊かな、果実が沢山ある場所で、それに対して屋久島の上の方は、非常に果実の少ない場所だということが関係しています。実際に数を数えてみると、3倍くらいの差があります。そういうふうにして私がHR群という1つの群について詳しい行動観察による調査を行いました。

  
  
  



ヤクザル調査隊としては5つの群れを識別し、行動圏と構成のデータを取り始めました。サルを追いかけるには定点調査の人がレーダーになって調査域に満遍なく配置していて、彼らが群れを見つけてくれると、それをトランシーバーでわれわれに伝えてくれます。だから、われわれのような調査経験のある人間と、調査経験のない人がそれぞれ有機的に組み合わさってデータを取るという、そういう方法でやっています。

これは昨年の調査結果ですが、5つ群れがあります。HR群は私がずっと調査しているやつで、PE群、OM群、SS群、YY群という群れがあって、それぞれ林道の周りに分布しています。もちろんそれ以外の場所にもさらに別の群れがいるんですけど、ちょっと行きづらいのでこの5つの群れを特に調査しています。分かったことは、この20年間、分布が基本的にはほとんど変わっていないということが分かりました。2000年時点でいたHR群は、今も同じ所にいる。PE群も同じ所にいる。OM群も同じ所にいる。1つだけ違うのは、2000年時点でSY群という群れだったのが2005年に分裂してSS群とYY群になった。ただこれも、元々の行動圏をそのまま2つに分けているので同じ場所にいると言えます。だから、同じ所に同じ群れずっとがいるということが分かりました。それぞれの群れのどこにいたかっていうデータを18年分全部重ねると、こういうふうになります。同じ場所に同じ群れがいるということがわかるかと思います。1つ1つの群れの行動圏の外側を囲うとですね、同じ所に同じ群れがいることが分かります。




これは実は西部林道と非常に違っています。西部林道の、屋久島の下の方での1998年の群れの分布と、2010年の群れの分布を比較してみます。それぞれいろいろ書いてあるんですけど、ごちゃごちゃでわけわからないと思います。わけが分からない、つまり大きく変化しているということだけ分かっていただければ結構です。だから西部林道では、消滅する群れがあったり、群れの分裂ももっと頻繁に起こっていますし、同じ群れがここにいたのが全然違う場所に行ってしまうということが非常に激しく起こっています。

これの鍵になるのが、西部林道の方では小さな群れが子供を産まないということだと思います。ニホンザルは1年に1回だけ1頭のメスが子供を産むんですけど、14頭以下の小さな群れだと出産率8%、つまり1頭のメスは11年間に1度くらいしか子供を産めないということになります。ニホンザルのメスが子供の産むことのできる期間は、多分15年間くらいですので、一生に1頭産むか産まないかくらいです。当然、このくらいしか産まないと数を増やすことはできません。小さな群れは、子供が産まれなくなって、ただでさえ小さいのにどんどん小さくなって消滅してしまうということが起こります。だから海岸の方では、いわば帝国主義的に、小さいものがますます小さくなるとということが起こっています。それが消滅してなくなって別の群れがやってくるということが起こっているようです。


ところが上の方ではそういうことはありません。小さな群れはあるんですけれど、大きな群れと同じように子供を産みます。このPE群は2003年にオトナメスが3頭、全部で10頭だけになってしまって、その後ずっとオトナメス3頭のまま、3頭のうち1頭がアカンボウを産み続けるという状態です。この群れは、個体識別していないので誰が産んだか分からないんですけれども、そういう状態がずっと続いています。それは西部林道的な感覚ではありえないようなことです。非常に大きな違いがある。

先ほど申し上げた通り、下の方が豊かな森、上の方が貧しい森なわけです。豊かなところで、群れと群れの競合が激しい、貧しいところでは平等であるということです。全体の果実の生産量に違いがあるだけではなくて、上の方っていうのは実をつける木っていうのは、こういう林床にある木です。先ほども申し上げましたが、森の中でこのような大きな立派な木は、サルにとって食べ物ではありません。林床の小さい木が、サルの食べる実をつけます。そのような木はただでさえ防衛することが非常に難しい。一方、屋久島の下っていうのは単位面積あたり沢山の食物があって、そこで守る価値があるわけです。さらにそれぞれの木が結構大きいので、その一本を守ることは結構しやすい。上の方はどうかって言うと、単位面積あたりちょっとしか食物がないので、それを頑張って守る価値がないし、そもそもこういうとても小さい木がばらけているので、守るのが非常に難しいという、そういう違いがあります。

  



実際、サルの群れと群れが出会ったときの反応というのが非常に違います。群れ密度はそもそも海岸の方が高い、これも垂直分布調査の結果分かったわけですけど、群れと群れの出会いの頻度はこれと当然関係していて、海岸の方はよく群れが出会います。海岸の方では群れと群れが出会った時に常に攻撃的交渉が起こります。必ず喧嘩する。そのうちの30%では攻撃は一方向的、つまり、要するに強いやつと弱いやつがっきりしている場合があって、そうすると強い群れが来ると弱い群れが逃げてしまう。上の方では出会いがそもそも非常に少ないし、出会ったとしても特に何も起こらない。だから屋久島の、豊かな下の方の群れでは土地に防衛の価値があるし、防衛しやすいようになっている。そうするとそれを巡って群れが土地を守ろうとして群れの出会いが攻撃的になる。そうすると小さな群れが不利になって子供を産まなくなる。そうすると小さい群れが消滅する。だから長期的に群れの分布が非常に不安定になり、どんどん変わっていく。上の方はどうかというと、貧しいがゆえに土地に防衛の価値がない。だから群れが特にそこを守ろうとしない。守ろうとしないので小さい群れは特に不利にならない。だから群サイズが小さい群れも同じように子供を産む。そうすると小さな群れも大きな群れも同じようにずっと同じようにいる。20年調査してきて、そういう違いがあるということがだんだん見えてきました。

さらに、ここが非常に屋久島ならではのところなんですけど、そういう非常に異なった場所がすぐにそばにあります。この二つの調査地は、場所によっては2kmあるかないかしか離れていません。もちろんその間にはとてつもない急斜面があるので人間はとても行けませんが、しかし例えば上にいる群れはずっと上にいたにしても、群れを出たオスが行ったり来たりしているはずです。時には隣接するすぐ上の場所から、群れが降りて来たりということがありえます。そういうふうな、非常に異なる環境が、すぐそばにあるというのは屋久島の大きな特徴です。

  



このように、長い時間調査をしてきました。私がHR群を調査し始めた2000年に産まれたメスが2頭いて、そのうちの1頭にマシュマロという名前をつけました。左は、10ヶ月くらいの時にお兄さんのマッチャというサルに抱かれているという写真です。右の写真は4年前、随分貫禄のついたおばさんになってしまいました。まだまだ現役で元気に子供産んでいます。われわれヤクザル調査隊は30年、この上の方の長期継続調査は19年になったんですが、それでもまだ、1頭のサルが全部天寿を全うするまで見ていません。調査隊のデータは、今私の研究室に保管されています。私は44歳ですから、定年まであと何年とか数えられます。段ボール1箱に2、3年分のデータが入っているので、そうすると退職するまでにどのくらいのスペースを作らないといけないのかなとか、なんかそういうことも思ってるんですけど、一応、スペースはありそうです。

 



これ松原さんです、今と随分違いますね。私自身、若くて何も知らなかったころ、恥ずかしいこといろいろあるんですが、随分長いこと時間が経って、屋久島の自然、調査隊に参加してくれた非常にたくさんの仲間、それから調査隊を支えてくれた人々に育てていただいて、今日この日、このようにヤクザル調査隊についておおぜいの皆さんにお話できてとても嬉しく思います。ご清聴ありがとうございました。

 




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