「実録! ヤクザル調査隊24時」
松原始(東京大学総合研究博物館特任准教授、1992-2000年参加)

よろしくお願いします。松原です。 今までヤクザル調査隊に関するサイエンティフィックな発表が続きましたけれども、この調査隊は基本的に学生のボランティア、有志の団体が次々にやってきて成り立ってきたという部分が非常に大きな側面としてあります。ですから科学だけではなくて、調査隊に関わっている人間、多くは学生ですが、「先輩に連れられてやってきた」、自分が先輩になったら「後輩に面白いから行ってみろ」と誘う。最近では「ネット上で調査員募集を見て来た」や、「変わった例では自転車旅行中に調査隊のOBに出会って意気投合して面白いから来た」というのもありましたが、人間の部分、というか大学に入って右も左も分からない、生物の調査も知らないという人間がこういう世界にぶち込まれたら何が起こるかということをお話ししたいと思います。最後は笑い話でございます。サブタイトルはこんな風(実録!ヤクザル調査隊24時)になっておりますが、ほんとはコレ(ヤクザル調査、行ってみたらほんとはこんなとこだった。)です。 そもそも募集要項をみてみますとこんなことが書いてあります。
調査方法:ブロック分割定点調査法うんぬんかんぬんnnnnn・・・・
それで行ってみるなら期間どれくらいなのかなと調査予定を見ますと、8月10日に集合して、21日に前期解散、まあ通しで参加することもできますが、一応入れ替えがあってという風に書いてあります。ところがよく読んでいくと、細かく書いてあるように見えて・・・。ここですね。(前期調査と後期調査と書かれた予定表の期間を指して)一番重要なところ、前期調査・後期調査と書かれているのが1週間ずつありますが、そこで何をするんですか。ということが一言も書かれていません。行ってみるまで分からないというブラックボックスなんです。いや一応書いてあるんですよ。で分かったつもりで行ってみても大体において想像を超えています。これを口で話すよりも百聞は一見にしかずです。皆さんヤクザル調査隊へようこそ。残りの時間、皆さんをヤクザル調査隊へご案内します。

  



行き方は、飛行機あるいは高速船、安いので学生の時は大体このフェリー屋久島2、最初は屋久島でしたが、昔はガチな登山者とか磯釣りのマニアとかしかいなかったんですが、最近はキャリーバック引いてミュール履いたお姉さんがいるのはびっくりしますが、そういうのに混じってやたらとバカでかい荷物を持っていながらプロの登山家には見えない、なんか怪しい若い奴らがぞろぞろ降りてくることがありますが、それがヤクザル調査隊です。港に行ったらヤクザル調査隊の人が、「こっち~」とかいって迎えが来てますが、それで車に放り込まれて、これもいまは好廣先生が尾之間に家を持っているので、そこを使わせていただいて非常に快適になりましたが、僕らが行っていた90年代の頃というと連れていかれるのはこういうところでした。栗生にあるキャンプ村です。行くなり「キャンプ村にぶち込まれてテント張って、そこで寝ろ」って言われます。行ってみたら先輩に連れられてきたりすると、先輩や同級生が何人かいるんですけども、周りいるのはこういう怪しい人たちばっかりです。いつの誰でしょうねこいつね。いきなり共同生活が始まり、なんか知らんけど鍋で米炊いてコッヘルで飯を食い・・・というのがはじまるわけですね。

  


で、翌日何をするのだろうと思っていると、いきなり実習といって連れていかれます。もちろん実習の目的は屋久島の環境に慣れてもらったり、実際に現場を見ながら、西部林道でやりますが、いろんな話を聞いたりしますが、肝心なのは双眼鏡の使い方に慣れる。双眼鏡の使い方知っているとは限りませんので、それこそ「示度の調整はこうですよ」だとか「ピントの合わせ方はこうですよ」みたいなそんなことからやるんですが、一番の目標はサルの性・年齢の識別の方法を覚えることです。近年では事前に、京都とか東京、犬山とかで野猿公園や動物園に行って、経験者にくっついていって練習するっていう機会を持ったりしていますが、最終的には実際に屋久島の西部林道に行ってヤクシマザルをみて、尻の色がどうだとか、睾丸が出ているからオスだとか、頭の毛が濃厚だからパーマがあるからメスですねとか、そういうのを覚えるわけです。

なぜ覚えるのかというと、定点で座っているだけでも、目の前をサルが通った場合は、やはりデータを取らなければいけない。僕はしろうとだから分かりませんとは言ってほしくないわけです。やっぱりサルが出たらデータを取っといて、というのがあります。というのは実は建前で、最大の目的は「せっかく来たんだからサルを見せてやろう」。なぜかというと、先ほど定点調査に関して好廣先生や半谷くんから説明がありましたが、定点に求められているのは、「とにかくそこに座ってサルの声を聞いていてくれ」です。サルがいるからと言って、そこに突撃してみるということをやってはいけません。あるいは分布調査でありますから、配置された位置にサルが来ないということもあります。つまりサルを見る機会があるとは限らないのです。サルの調査なのに。僕の後輩のN君は、3年参加して一度も会わなかった。やっと会ったのはその統括者をやっていたHさんが歩いてきたら、その時だけサルが鳴いた。去っていたら鳴かなかった。ちなみにこのHさんは行く先々でサルが出てくるので、彼女が島に入ったら親衛隊のサルが取り巻いていると言われていましたが。

 


こうやって実習をやった後、夜にミーティングがあって、何をどうしましょうというのがあるのですが、生活についてだったり調査の流れであったり諸注意事項ですね、山ですから事故を起こさないようにということをやるのですが、行ってみて経験してはじめてわかることですが、聞いたってなんもわかりゃしません。なんとなくとんでもねえとこにきたなと感じるのは、これは装備係・食事係の学生ですが、人手が足りないので2年行けば中堅、三年行けばベテランです。そういう人たちが役持ちになって、山の上で食べる食料を仕分けしています。全部事前に購入しておかなければなりませんし、数十人が二週間という食い物を集積するとこういう騒ぎになります。ちなみに、これまでに炊いた米は累計6トンといわれております。で、3日目くらいに天気が良ければ入山するぞということで、こんな感じにいろんなボロさの車がありますが、歴代の車たちに荷物がぶち込まれます。ちょっと荷物のふりをして乗っている人間がいたりしますが、このまま登るというわけではありませんが、少なくとも荷物は車で運びます。余裕があれば人間も車で運べます。最悪、ザックだけは積んでお前はデイバックで上がっていいと言われますが、なので大川林道をバックでとぼとぼ歩いて行って、のぼっていったら終点で車があって荷物を降ろしてと。それに参加して加わるというのが普通なんですが。

  


時には西部林道がこんな感じになっていた時がありまして、崖崩れで西部林道が通行止めです。この年は調査地にアプローチのしようがないので現場で調査地を変えました。みんなが実習に行っている間に必死で計画を立てて、調査地図をつくってコピーして下見にいってなんていう無茶なことをしましたが。あるいは、大川林道まで達したのはいいのですが、ここに橋が架かっていたはずなのですが、土石流のようなもので橋どころか谷がまるっごと吹き飛びまして何も残っていない。当然車は通れません。これはチンパンジーの研究をしている座馬君、大学の同級生なのですが、すべての荷物を登山用のリュックに入れて重量は20キロから25キロになると思います。これを担いで15キロ上がれ、と言われることもありました。このようにヤクザル調査隊の特徴は何一つ予定通りにいかない。例えば93年は記録的台風豪雨のために調査計画は完全に破綻しました。とにかくひどい目にあいました。テントの中を水が流れたっていうのはこの年ですが。翌年には、大きなキャンプ地ではなく山の中に班ごとに分散したのですが、そのうちの一か所のキャンプ地で水場の真上でシカが死んでいて腐っているっていう。そこしか水がなかったという悲惨なことがありました。95年が最大の危機でした。好廣先生が調査の1か月前に重病で入院してしまい、当時学部三年生だった半谷君に全責任がおっかぶされるという。いま、自分が大人になって、彼も言っていますが、数十人が山にキャンプするような調査に学部生を筆頭にして送り出すっていうのはよっぽど勇気がいると思います。よくやったと思います。96年には調査地の変更、98年には荷物を担いで上がるなどいろいろあったんですが。これはシンポジウムにもそういった呪いがかかっているんでしょうね。シンポジウム5日前に山極さんが入院。大急ぎで病院までカメラを持って行って一晩で編集をするっていう。それで何とかなっただろうと思ったら、司会をする予定だった大谷君が声が出ない。その場で変更。このようにマンパワーに優れているので代役をたのめば調達できるわっていうのがこの調査隊の利点です。

  


大川林道を上がっていきまして、キャンプ地を設営します。多くの場合は大川林道に2か所キャンプの場所をとっていましたが、1か所のこともありましたが、テントを張っていますが、特徴的なのはテントの上にブルーシートをかぶせています。いろんなテントがありますので、安いテントや古いテントは防水性が怪しいので、屋久島クラスで雨が降ると、ブルーシートをかぶせてやらないと防水が期待できなくなります。もう一つの大きな特徴は、ロープをとっていますが、このロープを支えにしてブルーシートで屋根を張っちゃう。ブルーシートを連結して大屋根を張っちゃいます。その下でみんな集まれる場所ができますから集会場兼食堂ですね。こういう場所があるかないかで快適さは極めて違います。正直、こういうい状態がない状態で雨に降り込まれたことがありまして、あの時は大変な思いをしました。こうやってあれやってこれやってと言われましても訳が分からないですから、ロープ結んでと言われましてもわかんないですが、何とかなんだかんだやって一夜明けると・・・。

  


はい!調査始まります。これは朝出発するときに半谷さんが、おそらく出発時の指示を出していますが、ごらんいただいて分かるようにみんなカッパつけてますね。もうすでに雨が降っているか、あるいはもう雨は止んだんだけど藪の中がびしょぬれなのでカッパ着てないとやってらんないっていう、そういう感じで調査を続けていることがあります。という話をしていたら一人、きわめて軽装な方がいらっしゃいますが、これは好廣さんなので大丈夫です。他の人はまねをしてはいけません。基本的に2年3年やると統括者として採用されますが、人手が足りないから君3年目だからとか、更に人手が足りないから君2年目だから統括者やってねとかでしたが、基本的に定点に配置される方がよっぽど多いのですが、それこそこの調査の強みですけど。 こういう風に林道上で定点をやることもあります。こういうところですと、サルが林道を渡るということもしばしばありますので、目視する機会も増えます。ただカンカン照りで厚い、雨降ったらよけられないなど、あと一番よくある苦情がせっかく屋久島まで来たのに道の上はつまらない。

 


ですから定点は適当に順繰り回すようにしています。森の中の定点はどうなのかというと、班長さんが班を率いて森の中へ「はい行きますよ~」といってこんなとこへ突っ込んでいきます。当然道はありません。保護地域ですから勝手に道を作れませんので、目印としてピンク色の布を割いたリボンを枝に結んで目印としていますが。「これ見逃さないで覚えていてね~」と。

 


今でこそGPSが使えますが、地図を開いてコンパスで方向を定めて進んでいくんですが、こうやってずんずんずんと進んでいって時には川を渡ったり、どんどんどんといって「はいここ定点ね」といってじゃあ後よろしくといって統括者は去っていきます。こんなのが定点で、典型的な定点での過ごし方ですが、6時までには出発して8時くらいには着きますかね。日があるうちに下りてこないと危険なので16時には引き上げるかなという感じが平均的かと思います。ということは8時間以上放置です。無線は入りますが、時々統括者が見回りに来たりしますが、監視に来るわけではないですよ、「ちゃんと元気?」って見回りに来るのです。なかなかよくやっているのは8時間いかに気持ちよく過ごすのかがよく考えられているので、この写真を選びました。まず水平に近い木を椅子にして座わっていて、その前にちょうど根っこが絡んでいるのがテーブル代わりになる。それで、必要な水筒なんかは身につけていますが、荷物はわきにおいて、日陰にちゃんと座って暑くないようにしている。えらいですね。データシートは手元において離さずにいます。日の当たるところにおそらくびしょぬれになったカッパとタオルを干している。こんな風に如何にして8時間身の回りを整えて過ごすかということが身につきますので、もうひとつこれだけの時間、誰にも会わない、人の気配もない、電話はもちろんなりません。そんな中で目の前に自然だけがある。それこそじっとしていたらトリがとまったとか、そういう世界でやっているそんな調査です。

 


戻ってきてやっているミーティングをやって、こういう調査でしたなんてのがあって、班員が言って、班全体で共有して、全員で共有して、感想言って、そういうことをやりますが、これが一日の調査です。



はい。お待ちかねのご飯ですね。ちなみにこれは大豆とひじきと人参の煮物という渋いもの食っていますが、理由は大豆もひじきも乾物で軽いからです。かつ腐らないからです。ときにはシチューを食っているときもありますが、スペシャリテとしまして甘いものがちょっとあると非常に気持ちが和みます。これは調査に参加していた高畑さんという研究者のかたですが、魔法のようにおいしい食材を出してきて振る舞ってくれる。こういうことがあるとやっぱり、非常に気持ちは助かりますね。

  


やはり雨との戦いが激しくて、これは台風除け大明神といわれた大竹さん、お亡くなりになりましたが、がたわむれに作った猿柱と呼ばれているものですが、これを立てて祈ると腫れるという噂があり、試したら本当に晴れました。こけたら曇りました。



色々あったんですが93年「道のような川事件」というのがありまして、事の起こりは雨の中を道を上っていったんですね。行ったときは砂防堤から水がちょろちょろ流れていて道の下の配水管にどーっと出てたんですが、2時間ほどたって、雨だっていってダメだということで下りてきましたらこうなっていました。なんのこっちゃ分からないかもしれませんが、ここが林道です。排水きれなかった水が林道の上を押しわたって谷の方へだーっとなだれ落ちていまして。なぜ道のような川といったのかというと、「これは道でしょうか?川でしょうか?」と言ったら「道なわけないです。これは道のような川です。」という返答があったのでそのように名付けられています。

 


99年はですね、屋久島というのは非常に懐の深い山なので少々の雨では川は濁りすらしないのですが、この時は雨があまりにも続いたので、何度も上り下りしたのですが、行くたびに大川がどんどん濁流になっていって、最後登ったら完全な瀑布みたいになってましたが。ちなみにこれは99年、日曜日という歌があるのですが、各曜日が我々の調査とぴったり合っていたので月曜日に霊研究のステーションに逃げ込み、火曜日に何とか実習して、水曜日に入山しているのですが、木曜日は土砂降りで、金曜日まで調査ができなかった。何だかんだいったら日曜日にはまた台風が来て逃げ出したとかですね。そのようなことがありました。ちなみにこの妙な歌があるのは、山の上であまりにもひどい目に遭っているので、替え歌で笑い飛ばすしかやることがないというのが実情だったからです。ちなみに、替え歌は記録されていまして今400曲も行きましたでしょうか。他人ごとではありませんね。150曲ぐらい作ったのは僕ですから。 これほどひどい目には合っていますが、もう一つの特徴としましては「最後には慣れる」ということです。雨の中の朝飯の風景だとは思いますがかなり異様ですね。このヒトはなぜ笑いながら長靴を履いてズボンをまくって朝飯を食っているのでしょうかね。僕も経験ありますけど、こういう時の朝飯はさっさと食わないとごはんがおかゆになります。慣れるというか野生化していきますね。最初のうちは、虫触れないとか生水飲んでも大丈夫なんですかとか言ってたやつが、最後には林道を流れている水で食器を洗っているようになりますから。でもこれは正しいことだと思います、生き物として。決して間違っていないだろうと思います。

  


こうやっていろんな経験をして、野生化したねってみんなと日々をおくって仲良くなりますが、そして下山します。ただ山の上ではすっかりなじんでるんですが、県道まで下りてくるとこんな感じです。ちょっと野生化しすぎでしょうかね。この辺で柵に乗ってる連中とかもう完全にサルですね。このドライバーとかたぶん観光客だと思いますけど、道端にサルがいるのと同じ目で見られますから。

 


なので早く人間になりたいので温泉に行きます。毎年こんなに小汚い集団に押し寄せられる尾之間温泉本当に申し訳ないのですが、我々にとっては本当に至福の時なのでどうかお許しいただきたい。ここで一風呂浴びるとずいぶんさっぱりします。ちなみに、山の上なので風呂もなければシャワーもない、トイレも当然あるわけないですから、1週間ぶりに風呂にはいれるということになりますね。現JRホテルのロビーで、文明の恩恵に思いっきりあづかっていますが、冷房が効いているとか何かが冷えているとかいうのはほぼほぼ10日ぶりくらいなので、ここでさわやかな顔をしてビールを掲げてますが、こいつら一時間前までサルですからね。

 


こうやって下りてきてその日の夜に打ち上げがあります。宴会やって騒いで、最後にお別れとなります。ここで何が嬉しいかというと、肉もさることながら山の上で決して食べられなかった生のものが食える。生の魚、生の野菜が食えるということですね。どれくらい悲しい思いをするかというと、山の上でバナナチップって野菜だよねって言いながら食べてますからね。ちなみに、ここで耳なし芳一みたいになっていますが、これはTシャツに寄せ書きしあうという習慣があるからです。替え歌と並んで、あるいは調理の方法と並んでやはりこういう継続する集団というのがあると、そこに文化が生まれて、それが継承されていくという、そういう面でもなかなか面白いもんがあります。

  


こうやって最後はあだ名で呼びあうようになるまで過ごした12日目に解散日がやってきます。これは屋久島2のタラップを皆が上がっていっていますが、船の上から名残惜しそうに手を振ったりしていると、もちろん下で片付けがあるから見送っているという人たちもいますが。座馬くんが踊っていたり、半谷事務局長が連続バク転で見送ってくれる。これはフェリーに乗っている関係ない人たちからも喝采が上がりますが、ちなみに最近年齢を理由にやってくれませんが、なんだったらここでやってくださっても結構です。

 
  


こうやってみんなで手を振りながら、港を走っていきますけど、いきなり何人かが服を脱ぎ始めて飛び込む。ここまでが屋久島のお約束です。若い奴元気だねなんて思ってはなりません。好廣先生もここにいてますから。

  


駆け足でご紹介しましたが、このような形で忘れられない一夏の経験というものを持つことができますし、その中で一人きりで山の中にいる、共同で何かをやる、あるいは飢える、身の危険だとかの台風がきて本当にヤバイとかですね。非常に様々な経験をする、そんな場であります。好廣さんなんかは「人間が化ける」と言っていますが、行く前と下りてくる後で全然成長したというべきなのか壊れたというべきなのかは別として、少なくとも人間の幅が広がるという経験をするというそういう側面があります。

口コミを中心として30年間続いてきた調査でありますが、今も募集は始まっていますし、これからも続いていきますがヤクザル調査隊は皆様の参加をお待ちしております。以上ですありがとうございました。


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