2005年度日本霊長類学会高島賞 受賞講演
(2005年7月2日 倉敷市芸文館アイシアター)
半谷吾郎(京都大学霊長類研究所)
「ヤクザル調査隊の挑戦: 屋久島のニホンザルの広域調査と新たな長期調査地の開拓」

 京都大学霊長類研究所の半谷吾郎です。本日は、たいへん名誉ある賞をいただき、心から感激しております。今後とも、この賞の名に恥じぬよう、いっそう精進を積んでまいりたいと思います。この賞は形式的には私個人に与えられたものですが、私は、私の研究の根幹をなしている、自称「ヤクザル調査隊」というグループ全体に対して与えられたものだと考えています。この受賞講演では、ヤクザル調査隊がどのようにして始まり、何を明らかにしてきたのか、そしてこれから何を目指しているのかについてお話しようと思います。

 「ヤクザル調査隊」は、毎年夏に、全国から数十人のボランティアの学生や社会人を募って屋久島でニホンザルの分布や個体数調査を行っている人たちの集まりです。第1回の調査が行われたのは1989年です。最初の2回で方法を確立し、次の2回は海岸の集落付近の分布調査、1993年から5年間は垂直分布調査、1998年からは屋久島上部の大川林道終点付近に恒久的な調査地を設け、そこでの継続的な調査を行っています。昨年までで16回の調査を行い、のべ参加者は800人を超えます。

 さて、屋久島はニホンザル分布の南限にあたり、野生群の詳細な調査が最初に行われた場所です。1974年以来、屋久島西部海岸では複数の野生ニホンザルの群れを対象とした調査が継続的に行われてきました。

 ところで、生息地としての屋久島の特徴は、単に南限であるということにとどまりません。屋久島には九州最高峰で1936メートルの宮之浦岳があり、海岸から山頂まで、標高に沿って大きく生息環境が変化することがもうひとつの重要な特徴です。海岸部には世界でも最大規模の照葉樹林が広がっていますが、標高800mを超えるとスギなどの針葉樹の巨木が多くなり、ヤクスギ林へと変わっていきます。さらに標高1700m以上では森林からヤクシマダケの草原へと変わります。山頂部は冬にはしばしばこのような雪に覆われます。私が主に調査している標高1000m付近でも、このように40cmの積雪に見舞われることがあります。こういうときに、林道を往復6時間かけてラッセルして調査地にいったこともある私には、とても屋久島が南国だとは思えません。

 これは、われらがヤクザル調査隊隊長、好廣眞一さんです。好廣さんは長らく、豪雪地帯の志賀高原で調査をされてきました。そういう好廣さんにとって、分布南限の雪山に住むニホンザルの暮らしを明らかにすることは、長年の宿願でした。全島規模のサルの暮らしを調べたいという、好廣さんの宿願を果たすために結成されたのが、ヤクザル調査隊です。

 私がはじめてヤクザル調査隊に参加したのは1993年、大学1年生のときでした。この年からは調査隊は垂直分布調査、つまり海岸から山頂までサルの密度がどのように変化しているのか、という課題に取り組みました。山の上で数十人の人たちが数週間にわたって暮らすのは、当然ですがなかなかたいへんです。林道の終点まで車で行き、そこから先はテントや食料などの荷物を全て担いで、キャンプ予定地まで歩いて上がります。道は、たいていは下見のときにテープで目印をつけただけの尾根です。小屋に泊まることもありますが、場合によっては5時間道なき道を歩いてたどり着いた山の中にキャンプを作ることもあります。年間1万mmの雨が降る屋久島の上部では、天気の悪い年は常に霧にまかれ、乾いたシャツでも干しておくと濡れます。あまりに寒いので山の上にいる調査員からカイロと乾いたTシャツの差し入れを頼まれたこともありました。夏の屋久島で大量のカイロを買うわれわれを見て、地元の人がどう思っておられたかと思うと、たいへん愉快です。

 そんなこんなで、なんとか5年間で西部地域の海岸から山頂までの連続的な垂直分布の全貌を明らかにすることができました。この写真は屋久島第二峰、1986mの永田岳にいたニホンザルです。この5年間、わたしたちが苦労して明らかにしてきたのは、「屋久島にはどこまででもサルがいる、それもたくさんいる」という、単純な事実でした。海岸部での密度はこれまで知られていた通り、1km2あたり60-100頭でニホンザルとしては最大、しかしそれ以上の標高帯でも1km2あたり20-30頭の密度で分布しており、これはたとえば北日本のサルに比べればはるかに高い値です。



 さて、わたしは垂直分布調査が終了した1997年に大学院の1年生でした。大学3年のとき、病気のため参加できなくなった好廣さんに変わって事務局を務めて以来、私が主に調査の運営にあたることになっていました。私は1997年の調査が終わってから、これまでの結果をまとめて、外国の雑誌に投稿しました。1年もかかって返ってきた返事は、その後の研究者人生で私が何度も何度も受け取った却下の通知の中でも、もっともひどいものでした。この調査の方法は、ブロック分割定点調査法といいます。このように調査地を500m四方のメッシュに区切り、そこに一人の定点調査者を配置します。複数のメッシュに一人の集団を追跡する人を配置し、追跡者と定点調査者がトランシーバーで連絡を取り合いながら集団の分布についての情報を集め、最終的に群れの分布を推定するというやり方を取ってきました。そのようにして得られた群れの丸の数を、調査面積で割るという方法で、密度を出していたのです。批判の矛先は、主に調査方法に向けられていました。つまり、調査地域の形によって、密度が影響を受けるとか、4日間の追跡で調査域内にいる群れが全て発見できたとする根拠がない、などです。その後の調査でわれわれがえいやっと書いた群れの分布は、おおむね正しいことがわかりましたが、当然「科学」としては、そのような職人的勘を信じるわけにはいきません。この論文は、私が博士課程の調査を行っている2年間のあいだ、お蔵入りになっていました。

 その後わたし自身がもう一度霊長類のセンサス法について一から勉強をしなおし、手持ちのデータから客観的に密度を計算できる分析法を開発しました。この過程では、この方法のそもそもの考案者であり、第1回のヤクザル調査隊の事務局長である大井徹さんにたいへんお世話になりました。通常の霊長類のセンサス法の基本は、発見数を発見率で割って、密度を推定するというものです。発見率を推定するために、観察者からの距離を記録しておきます。もし群れが観察者に対してランダムに分布しているならば、観察者との距離によって密度は変わらないはずです。実際の発見パターンがこのようになっていて、観察者のすぐ近くでの発見率が1であると仮定すると、この二つのグラフはつなげることができます。つまり、発見数の距離による頻度分布そのものが、発見率になるというわけです。

 ところが、われわれの調査は定点調査で、主に音声によって集団を発見しています。音声では、集団までの距離が正確にはわからないので、このような分析はできないのです。ところが、われわれの調査では定点調査者のほかに、集団の追跡者を配置しています。そのため、集団追跡の記録と、定点調査の記録を付き合わせれば、発見率を計算できます。つまり、このように、集団と定点との距離が100mになったとき、発見できた、150mのとき発見できなかった、という事例を集めていくのです。それがその結果で、定点と集団との距離はこのような関数に近似できることがわかりました。あとはこのようなモデルを立てて密度を計算します。こうして計算した集団密度は、群れの遊動域から計算した集団密度と一致し、この方法が有効であることが確かめられました。

 客観的分析法を開発したことで、ようやく垂直分布のデータが日の目を見ることになりました。もう一度全てのデータをフィールドノートにまでさかのぼって分析しなおし、私が博士課程のあいだに集めた生息環境についての資料と対応させ、屋久島のニホンザルの標高による密度の変異の決定要因を明らかにしました。そうしてわかったことは、サルの密度は海岸部だけで高く、それ以上の標高帯では大きな違いがないこと、そしてそのようなサルの密度の変異にもっとも対応しているのは、食物樹の密度や、一年のうち果実の利用できない期間の長さではなく、年間の総果実生産量でした。生息環境のパラメータ、とくに年間の食物の総量と季節性に関するパラメータと密度との関係を同時に検討した研究はきわめて少なく、「動物の密度は何によって決まるのか」という、動物生態学の根幹に迫る研究に発展させることができました。
 

 ヤクザル調査隊はその後、屋久島西部、標高1000m付近の大川林道終点地域に拠点を定め、その場所で集団密度と群れの構成に関する長期継続調査を開始しました。この地域にはさまざまな年代に、異なる方法によって更新が行われている伐採が含まれており、その点にも着目して調査を行っています。これはその成果の一部です。また、博士課程に進学した私は、ヤクザル調査隊の成果の上に立って、この場所で2年間の調査を行い、生息環境についての資料を収集するとともに、ひとつの群れを人付け、個体識別して、2年間の調査のうちの後半1年間、行動観察による資料を収集しました。その結果、上部域のニホンザルはニホンザルでは他に類例がないほど葉をたくさん食べること、活動時間配分の季節変異には食物に関わる要因だけでなく、気温が非常に重要な影響を及ぼしていることなどが明らかにしました。現在は行動生態学的な分析を進めており、食物をめぐる競合のパターンが屋久島の海岸部と上部域では異なる一方で、社会関係には変異が少ないことが明らかになってきました。

 こうして現在では、この地域は屋久島の西部海岸部と比肩しうるもうひとつのニホンザルの長期野外調査地として成長しつつあります。伐採地の更新と自然林での果実生産の豊作不作という生息環境の年変動をモニターしながら、この地域のニホンザルの密度、人口学的パラメータ、群れの分布がどのように変化していくのかを、西部海岸部と比較しながら長期にわたって調べていきたいと考えています。海岸部では群れの動態が極めてダイナミックで、群れの消滅や遊動域の変化、群れごとの出産率の違いが顕著に見られることが知られていますが、現在のところ上部域では群れの分布は安定しており、出産率にも群れごとに大きな違いが見られないように思われます。二つの調査地は距離にしてわずか7kmしか離れておらず、空間的に不均一な状況で時間的に変動する環境でニホンザルという種がどのような動態を見せるか、ほかに類例のないデータを今後提供していけるのではないかと考えています。

 この講演の前半部分で、研究としての厳密さを省みずに突っ走ったヤクザル調査隊の姿勢について、いかがなものかと思われた方も多いかもしれません。本当のことを言えば、曲がりなりにもプロの研究者になった今の私は、きちんとした計画を立て、必ず結果が出る調査をするのが好きです。しかしそのように成果が出る保証がなければ調査しないという姿勢では、屋久島のニホンザルの垂直分布の全貌を明らかにし、上部域に新しい調査地を開拓することはできなかったかもしれません。われわれヤクザル調査隊は、本質的にはサルについての素人の集まりです。この場合は、素人であったからこそ、成果が確実に上がるかどうかわからない広域調査や、上部域の調査にやみくもであれ取り組む蛮勇があったのかもしれません。われわれを突き動かしてきたのは、ひとつには好廣さんのあとさき省みない猪突猛進の情熱であり、もうひとつはヤクザル調査隊そのものが、あまりにも楽しく、途中でやめるなどもったいなくてできなかったからです。ヤクザル調査隊は、ニホンザル研究に非常に重要な貢献をしてきた自負しています。そのような研究成果と並ぶ、調査隊のもうひとつの大きな財産は、調査を通じて何百人の人が出会い、屋久島という場で切磋琢磨しながら、調査という一つの共通の目的に向かって一丸となって努力するという、他では得られないかけがえのない経験をしてきたということだと思います。調査隊をまるで母校のように思ってくれる多くの調査隊OBOGの皆さんの期待に応えるためにも、われわれはこれからも挑戦を続けていきたいと思います。ご静聴、ありがとうございました。

もどる