「好廣眞一先生の退職を祝うヤクザル調査隊の会」講演「ヤクザル調査40年」 資料

ヤクザル調査40年  好廣眞一

1. ヤクシマザル調査年表

1948. 11月 川村・伊谷、都井岬(宮崎県)でニホンザル群と会う
    12月 川村・伊谷、今西、幸島で調査
1950     伊谷高崎山群 調査

1952     伊谷、川村、屋久島調査し、猟師に実験動物としてのサルの捕獲・供給を依頼
『屋久島のシカとサル』出版。霊長類研究グループ
幸島群餌付け

1956    日本モンキーセンター設立、ヤクザル供給事業、1960年代末までに約4000頭の生きたヤクザルを実験用に供給

1964    霧島屋久国立公園成立

1967    京大霊長類研究所設立

1970    小杉谷集落なくなる(拡大造林政策による集中的伐採の中心)

1972    屋久島を守る会結成。柴鉄生・兵頭昌明ほか。ニホンザル現況研究会設立。ニホンザルフィールドワーカーの集まり。霊長研共同利用研究会

1973    上屋久町議会「屋久杉原生林の保護に関する決議」
1973. 3月 「屋久島やるべし」…日本的で世界的なフィールド
(1)1973年3月、若手フィールドワーカー達が「プリマーテス研究会」の夜、雑誌「にほんざる」創刊とヤクザル共同調査を決意した。足沢、東、岩野、増井、福田史、好廣、渡辺ほか
(2)日本各地で野生群、餌付け群の長期調査を行っている者どもが、各地で抱えた問題解決のため、ヤクザル調査が必須、と考えた。孤立分布や、餌付け群はニホンザル本来の姿にあらず。
(3)屋久島は、ニホンザル最大の個体数が連続分布する、分布南限の地。海岸域の亜熱帯林から山頂の亜寒帯ヤクザサ草原までが垂直分布する、日本列島の縮図。山頂部は冬、一降り4mの雪で、熱帯高山の北限だ。宮之浦岳1935m、永田岳1886m。
(4)海岸から山頂まで調査すべし
1973    ヤクザル予備調査…上原、菅原、岩野・福田喜、増井、好廣の5次

1974    ヤクザル一勢調査 (夏:西部林道域、標高20-300m)~1976まで高密度(30頭/km2?)に驚く。
1974 秋  西部を垂直分布調査 カンカケ岳(773m)南北ルート、国割岳中央稜~1975まで

1975    Ko群を人付け(西部林道域)生態、社会学的調査始まる。次世代研究者(丸橋、山極、黒田、古市、大井)達が人付け、個体識別し、生態学・社会学の世界的フィールドに育てた。

1977. 8月、12月~78.1月、山頂域調査(標高1200~1935m)1555mの鹿之沢小屋をベースに夏と冬調査。夏は群れが0.33群/km2と高い密度で暮らす。しかし、ブッシュとガケで追跡できない。冬は積雪のため1500m以下に下る。

1979    土面川で土石流、永田300戸の内230戸が被災。伐採跡地の山地崩壊。

1982    瀬切川右岸伐採計画中止、自然植生の垂直分布が守られた。

1983    環境庁自然保護局「屋久島原生自然環境保全地域調査」山極、大竹、足沢らヤクザル調査

1983-88  中高度域の平瀬(標高800~1500m)で2群追跡調査

ヤクザル調査隊1989-2012+

1989    海岸部猿害多発地2カ所を調査。広域分布調査法としてブロック分割定点調査法を試行し成功。大井徹事務局長  

1990    同法を分布の分かっている西部林道域で試行し、方法を確立。

1991-92   屋久島海岸域一周調査。猿害対策の基礎資料としてサンプル調査でなく悉皆調査。萬田正治鹿児島大学農学部教授より依頼。高畑由起夫事務局長。 

1992    鹿児島県「屋久島環境 文化林マスタープラン」と西部林道拡幅改修工事(2車線化、大型バスを通す)の矛盾した政策を発表

1993    世界遺産に登録
1993 3月 「ヤクザル生息実態調査報告」を出版(鹿児島大学農学部鳥獣害研究会著)。
1993    黒味川上流域小宮君と準備。最悪の調査体験。前期前半は快調。山極が「この方法でよく分布が分かるもんだね!」その後台風が3つ来た。ほうほうの体で逃げる。道のような川。

1993.9-1994.8 屋久島に家族と移住。国割岳西斜面の尾根9本にテープをつける。

1993-97   垂直分布調査…標高300mまでは105頭/km2のニホンザル最高密度、300m以上は30頭/km2

1994 7月~8月  国割岳西斜面の垂直分布調査。  
1994    国割岳垂直分布。半数はテントかついで山中泊、半数は下界の霊長研観察ステーション泊。シカ水、高度別音声頻度、あまりの非能率さに翌1995年調査のため4人の事務局員を頼む。岐阜大平田、龍大久保田、京大半谷、京女短大古川。

1995    国割岳東部。学生事務局主導の運営。

1996    東部安房林道~黒味岳、淀川・石塚小屋暮らし、谷村事務局長。

1997    垂直分布調査達成。永田岳山頂に群れを見る。

1998-2012  中高度域の平瀬600-1200mの7.5km2で、分布・生態を継続調査。フィールド確立。海岸域との比較

1998    瀬切川左岸に3群、右岸に2群確認

1999    辻南テン場と終点テン場。台風で入下山を繰り返す。年降水量10000mm以上を実感
1999 12月 松原始の問題提起、半谷HR群を人付け。

2000    定点調査復活、PE、OM、SY群命名、台風の中テン場でサンバ、高畑建設。

2001    釣谷のBR群カウント、高校生2人参加、東海林、檜山

2002    全後期の完全入れ替え、長期化、ピンク紐

2003    永井シカ調査と清野昆虫食

2004 4月 おめでとう会~半谷さん美野子さんご結婚おめでとう!そして調査隊は気づけば15周年?!いやはやなんとこれはめでたい三岳の宴~
2004    SY群自由行動、母の死。柴鉄生さんが知らせに上がって頂き、飛行機で京都へ。

2005    SY群分裂、SS群とYY群にシカ専任、台風で後期調査員鹿児島で足止め

2006    果実量調査専任、半谷霊長研助教授に、

2007    川合・菅谷・半谷のYY/SS群フルカウント、澤田・川合SS群個体識別、早石・松本調査員の環境教育アンケート、好和荘できる。

2008    シカ糞調査によるシカ密度推定、シカ専:小川・澤田、関、幸田の提案。岡久、アカヒゲ撮影、松原カラス調査。

2009    ヤクスギ林帯での慎ましく平等な群れ生活を確認vs海岸林の豊かな競争社会。山中のキャンプ禁止、好和荘をベースに調査、インフルエンザで隔離された隊員。

2010    新たにWC、2Gの2群を確認、ヒル調査開始

2011    好廣、11月に心臓3ヶ所手術

2012    


2. 分かったこと

(1) 川村、伊谷(1952)
① ヤクシマザルは、海岸に近い台地と中央山岳帯を除いた傾斜の急な中腹、環状部分を占領している。約300~1100m
② 群れの個体数は4、5頭~50頭で20頭内外の群れが多く100頭を越えるものはない。
③ それぞれ1kmほどのテリトリーを持ち、隣接して拮抗的、対立的にくらす。テリトリーも個体数もほぼ一定。

(2) 1973-88年(ヤクザル調査隊まで)
① 分布:0~1886mの永田岳山頂まで、夏は群れが利用。冬は1450mまで。
② 分布密度と群れサイズの垂直分布
       標高     群れサイズ    群密度(群/km2)    個体密度(頭/km2)
上部域   1300~1886    12       0.33            4
中部域   800~1200    18、16     0.60~0.75         12
海岸域   0~300      15、47     1             30
③ 西部林道域の分布…1960年代まで狩猟圧で低かった。1970年代以降増加し、群れが分裂して80年代なかばまで分布を広げ、個体数を増加した。それ以降群れの分裂と消滅が続いた。

(3)1889~2012 ヤクザル調査隊
① 西部林道域以外の海岸域(0~360m、一部500~600m)111.5km2に91群と26集団、1164頭をカウントし、ここに、1296~2286頭が生息すると推定。密度は11.60~20.47頭。しかし地域ごと
に差あり。広葉樹林の残る北部(永田-一港-宮之浦)では、11.8~41.0頭/km2、道上は広葉樹林、道下は畑・果樹園の南部(安房-尾之間-栗生)で10.6~22.4群/ km2、杉人工林の東部(宮之浦
-安房)では、3.1~6.8/km2。人が住まず広葉樹林の残る西部林道域(永田-栗生)では38.6~125.2頭/km2だった。
② 西部域の垂直分布で海岸林域(0~300m)は105頭/km2でニホンザルの最高密度。それ以上の植生帯では30頭/km2と西日本照葉樹林帯の下限で、東部落葉広葉樹林帯の数倍に当たる。中部域(平
瀬)では2008~2012年の間、集団数、集団分布、個体数とも安定している。
③ 集団密度は平瀬の5つの植生帯で異なる。天然更新1≫人工更新2>自然林、人工更新1>天然更新2。果実生産量と関連するか?

(4)通時的研究から分かること

3. ヤクザル調査隊が隊員に残したもの―場の効果

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