ヤクザル調査隊の人口学 ver.2018

2019.2.19. 半谷吾郎

 ヤクザル調査隊に参加するのは、いったいどんな人たちなのでしょう?ここでは、調査員名簿をもとに、2018年までの30年間にヤクザル調査に参加した人たちについての統計的な傾向を見てみることにします。

目次
1. 参加者数
2. 参加者の身分
3. 参加者の参加回数


1. 参加者数





 この30年間の参加者数は、のべ1501人、実人数にして969人です。
 図1は、それぞれの年の参加者の総数です。第1回の調査である1989年が30人と最小でした。鹿児島県の委託によって海岸部の猿害地の調査を行った1991年と1992年は非常に規模が大きく、それぞれ114人と99人が参加しました。1998年から2001年までは、参加者が50人を超え、やや多い状態が続いていましたが、2002年以降は、50人弱で安定しています。2002年以降、調査員の数が安定しているのは、調査域が固定し、必要な人数が統括者+定点+食当(最近は、それにシカ調査、植物調査などが加わります)で毎年変わらなくなったからです。


 それぞれの年の期間別(前期と後期、ただし、1991年と1992年は前期前半、前期後半、後期前半、後期後半)の参加者数を示したものが図2です。この図はいわば「一度に集合している参加者の数」をあらわしたものです。調査の期間中、参加者の入れ替えがあるため、「調査隊の規模」のもう一つの指標としてこの数を分析しました。1989年と1990年は参加者の入れ替えの記録が残っていませんが、それぞれの参加者が自分の都合のつくときに参加されたようです。
 1991年から1995年までは、前期と後期で大幅に参加者が入れ替わるようになっており、さらに1991年と1992年には前期、後期それぞれの前半と後半でも小規模な入れ替えがありました。1996年から2001年までは、参加者は基本的には全期間通じて参加していただくようになり、前期と後期のあいだで小規模な入れ替わりがありました。2002年からは再び前期と後期で大幅に参加者が入れ替わるような体制に変わりました。




 図2を見ると、一度に集合する参加者の数も、やはり1991年と1992年が非常に多く、1991年後期前半には73人、1992年後期前半にも70人もの参加者によって調査が行われました。

 1993年から1997年は、非常に小規模だった1994年前期(12人)を除けば30人から40人、1998年から2001年は40人から50人で行われました。1998年前期は56人ととくに多い年でした。

 1991年、1992年の大規模調査は集落付近の調査だったため、宿泊地は公民館などでしたが、1993年以降は上部域の調査が多く、基本的に山の中でキャンプして調査を行っています。1998年は、上部域の調査をはじめて以来調査隊の規模が最大になっただけではなく、調査地へ通じる大川林道が不通で、調査員はすべての荷物を担いで上がらなければいけませんでした。この年の調査は幸いにも調査隊始まって以来の好天続きで、雨が一日しか降らなかったため無事に調査を終えることができました。しかし、翌年以降は何度か下界に避難しなくてはならない事態も生じ、その際調査隊の規模が大きいことがかなりの負担になってきました。2002年に再度調査員入れ替え方式を導入したのはそのためですが、以後一度に集まる調査員の数は20数名になり、事務局の運営の負担は大きく軽減されました。
 現在の調査地では、後期、つまり3、4、5班の調査に必要な人数は、前期に行う1、2班に比べ、4人多くなっています。そのため、基本的には後期の方が数人人数が多い状態で推移しています。

2. 参加者の身分




 参加者の身分を大学生と短期大学生(以下大学生)、大学院生とポスドク、その他学生(専門学校生、高校生など、以下その他学生)、研究者の社会人(以下有職研究者)、一般の社会人(以下社会人)の5つに分けると、30年間の合計で、62名の身分不明の参加者をのぞいて、大学生が71.6%、大学院生・ポスドクが13.3%、有職研究者が5.5%、その他学生が5.1%、社会人が4.6%となります。参加者の身分構成の年による変化を示したものが図3です。
 調査隊の初期には参加者の多くは有職研究者と大学院生で、大学生は少数派であったことがわかります。1991年の大規模調査をきっかけとしてこの構成に変化が生じました。研究者は少数派となり、大学生の比率が常に60%以上と、調査隊の多数を占めるようになりました。
 大学院生も1995年までは減少の一途をたどっていましたが、1996年以降再び増加し、現在は毎年参加者の20%弱を占めるに至っています。これは、初期の調査に参加した、プロのサル研究者としての大学院生が(ほかの研究者同様)調査隊からだんだん退場していったのに対し、学部学生時代から調査隊に参加していた調査員が1996年以降相次いで大学院に進学して調査に参加したこと、また1999年以降、京都大学大学院理学研究科の人類進化論研究室や霊長類研究所の新入大学院生が相次いでこの調査に参加したこと、さらに2007年以降は、事務局の半谷が霊長類研究所の教員になり、指導している大学院生が、調査隊の中心メンバーとして、在学中に連続してこの調査に参加するようになったことを反映しています。
 その他学生は1997-1999年ごろは参加者の約20%を占めていましたが、現在は少なくなっています。


3. 参加者の参加回数




 図7は、それぞれの年の調査隊が、どのような参加経験の調査員で構成されていたのかを示したものです。30年間の平均では、初参加の調査員が64.8%、2回目参加が11.2%、3回目参加が7.4%、4回目以上が16.6%です。

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